水天宮のある蛎殻町には、埋め立て前は、たくさんの貝殻が堆積していたそうです。ここは遠い古代から、貝殻の捨場でした。貝塚だったようです。この当たりは、米相場の中心地として賑わっていました。今は食品関連の醤油や砂糖、瀬戸物の問屋が多いようです。人形町は、歌舞伎、浄瑠璃、人形芝居の小屋が立ち並んでいました。浜町にある明治座は、そんな流れを受け継いだものでしょう。また、最初の吉原遊郭というのは、この辺りにあったそうです。こういったことから、江戸幕府は、このエリアを歓楽街にしようとしてたとも言われています。鎧橋を渡ったら、平将門の兜を由来にもつ兜町があります。兜町は世界有数の金融街です。この隣は、茅場町です。茅場町は、昔は茅が繁茂する湿地帯だったことから、名前がついたとのこと。